衣川晃弘大先生の見聞会講話集「21世紀を幸せに生きる」第11巻より
2018年(平成30年)8月5日 ベストグループ道南見聞会 ①
皆様、おはようございます。日本では昔から「八百万(やおよろず)の神」と言われるように、地球上には八百四十万種類の生物がいると言われています。インドへ行くと、八百四十万種類の生物がいると書物にも書かれていました。そのことが分かっていた昔の日本人は素晴らしいと思います。
昔の日本人は、生物の命を『神々』と言っていたのです。八百万種類の生物に命が宿っていることを、当時の日本人は知っていたのです。今はそのことを知らない方が多いと思います。あなたを生かしておられる存在のことを知らずして、あなた一人の力でどれだけ生きられるのですか。
ろうそくの長さのように、命が肉体に宿った時に、一人ひとりの寿命は決まっているのです。ですから、長生きをしたいと思っていても、短い寿命で生まれると決められた方は、ちょっとした事故で亡くなるかも知れません。
長い寿命で生まれると決められた方は、病気をしても長生きをする方もいるかも知れません。寿命というのは、生まれた時の命の決め事なのです。
誰でも不幸は嫌なものです。「幸せになりたい」と思っていても、何の努力もしていない方もいれば、幸せに向かって本当に努力をしている方もいます。色々な方がいると思います。しかし、幸せになりたければ努力しなくてはいけません。
何の努力もせずに幸せになることができるならば、社会は崩壊すると思います。痛い目に遭うということは、「もっと成長しなさい」ということではないですか。痛い目に遭うということは、「もっと偉大なる存在を信じなさい」ということではないですか。
私は小さい時から偉大なる存在を否定したことはありません。なぜなら、小さい時から命の存在を信じていたからです。命の存在を信じていた者が、どうして偉大なる存在を否定するのですか。
私は仏の存在も否定しません。たとえば、電波や電流が流れていても、目には見えないではないですか。携帯電話の電波は目に見えませんが、電波があるから電話が繋がるのでしょう。
あなたの携帯の番号に電話がかかってくるから、電波を認めているのでしょう。目に見えないからと言って、あなた方も電波を否定していないではないですか。では、あなた方が生きているのは、命があるから生きているのです。命は目に見えないではないですか。
あなた方も命という電波を捉えれば良いではないですか。しかし、あなた方が命の存在を否定していたら、命に通じようがないではないですか。私は命の存在を認めているから、あなた方の命と通じているかも知れません。
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